この度睦会元会長小泉明さんから、睦会々員名簿再刊にあたり町会自慢の神輿
のゆいしょがき由緒書をとの依頼がありました。然しこれに関しては当時私も若年であり、 又神輿購入に携わった長老の方々は巳にき鬼せき籍に入られており詳細は定かでは ありませんが、私の知る程度の事で良いとの事なので垣間聞きの頼りない記憶を辿り乍 らペンを執る事に致しました。
我が町会所有の自慢の神輿は御覧になっておわかりの素晴らしい出来栄えのもの。
都内数有る神輿の十指に入ると云われる程芸術性の高いもので、目の肥えた各神輿 愛好家の方々すいぜん垂涎の神輿であります。町会員待望のこの神輿の出来たのは 昭和十五年、皇紀二千六百年記念大祭の時です。大正十二年、関東大震災によ り焼失し、以後借神輿により祭礼が行われて居りましたが町会員の切なる願いにより積 立を開始、購入となったようです。
当時技量に定評のあった行徳後藤神輿店に先輩役員が出掛けた時、同じような
神輿二基が有り、その内一基は巳に売買の話が進みかかって居たのですが、一目見 て惚れ込んだ先輩達が強引に手に入れたのが現在の神輿であると聞いております。
芸術性は何処にと云えば、神輿の作り総てである事は衆知の事実ですが、特なる
所以は神輿四柱上部の狛犬の咥えた化粧彫のまり毬に有ると云って良いでしょう。彫 った毬を二つ割にして中に小鈴を入れ再び接着するならば容易ですが、木片を犬、毬 と彫り進め、毬の外から彫込み、中に残された木により小鈴を作り内部に切り離す技量 は並の技量で出来るものではなく、これだけの神輿はもう出来ますまい。紀元二千六百 年祭(皇紀)屈強の力自慢の方々によって見せて呉れた見事な担ぎ振りは若年の頃 の私の脳裏に強烈に焼付けられました。大震災の教訓により行徳に保管を依頼した先 輩の英知のお陰で戦禍を免れた幸運の神輿です。高齢化の進む現在の社会、多くの 町で祭の在り方について一考を余儀なくされる中に当町会睦会の誕生とその成長は実 に頼もしく、心強く、有難く思っております。
今後先輩の残して呉れた大げさに云えば国宝的な神輿を更なる後輩に継承させて
頂くと共に睦会の皆さんが、皆さんの愛する故郷我が町のリーダー集団として町会を 背負って下さる事をお願い致しまして拙稿のペンを置く事と致します。
元 町 会 長 小 暮 欣 一
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